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教科書が教えない地球の歴史 ーなぜ牛はモウとなくのかー
(用意するもの2つ ガーンという音がするものとチーンという音がするもの)
とある映画の一場面
万物の霊長たる人間が、他の生物によって裁かれるという場面
それも、地球外生命体とかによってならともかく、地球内生命体である猿によって裁かれるという場面を見た時に我々が受ける衝撃の大きさは、その場面に込められたメッセージに対する反応以上のものが作用しているといえるのではないだろうか
この映画の制作者は、観客に対して、未来のある時代に、人間が他の動物の都合に基づいて裁かれるという設定を見せることで、逆に現在、人間が他の動物に自らの勝手な都合をおしつけているという事実を効果的にあぶりだしてみせたといえるのではないだろうか
同じ人間として自らにもその刃が向けられるそのメッセージを発したこと自体勇気ある行為といえるだろう、しかし、そんな勇気ある制作者をもってしても、事実を全てありのままに表現することはできなかった
すなわち、人間が他の動物の支配を受けるという事は、未来に起こりうるかもしれない架空の話ではなく、実際に過去にあったことなのであり、そしてさらに、その過去に人間を支配した動物というのは猿ではなく、牛だったのである
ガーン!(効果音1)
と、こういうことをいうと、すぐに根拠を示せとかいってくる輩がいるのは実に嘆かわしいことである
我々がまずすべきことは、物的な根拠の有無を気にすることなどではなく、自らの魂の中にある声、すなわち、代々受け継がれてきた記憶の切れ端達が発する声に耳をすますことだからである
が、心の広い私は、自らの魂に耳をすますことを忘れてしまった者達のために、ちゃんと有無をいわせぬ根拠も用意してあるのである
というより、根拠など心を開いて回りを見ればいくらでもころがっているのであるが、しかし、とりあえずここでは一つあげておけば十分だろう
人間は、牛にすがって生きていた時代の記憶が魂に刻まれているがゆえ、未だに、いい年した大人でさえ牛から乳ばなれできないでいるのである!
ガーン!(効果音1)
ではなぜ牛は人間にその地位を奪われたのであろうか
いや、牛はその地位を奪われたのではなく、自らそこを降りたのである
現在もそうであるが、人間という動物には、他の動物と違ってある一つの致命的な欠陥があった
それは、他の動物が、先のことを考える力がないゆえに、ただその時々を必死で生きるのに対し、人間は、いたずらに先のことを考える力があるために、未来に、いや、自分の目の前にニンジンがぶらさがってないとすぐに生きる気力を失ってしまうのである
そこで、生きる気力を失いかけた人間に「もうすこしのしんぼうだ」というニンジンをぶらさげてやるのが牛の仕事だったのである
しかし、天変地異や病気の流行などが起きる度に「もうだめだ」といってふてくされてしまう人間どもの相手をすることに牛達は次第に空しさを感じ始めていたのである
そしてそんなある時、いつものように人間達と、「もうすこしの辛抱だ」「もうダメだ」「もうすこしの辛抱だ」「もうダメだ」と押し問答をしているうちに、牛達はつい間違って、「もうダメだ」と言ってしまったのである!
そのことにショックを受けた牛達は、それ以降、「もう」の次のセリフがいえなくなってしまい、ついには、「もう」以外の言葉が一切使えなくなってしまったのであった
そして、時が流れるにつれ、かつては自分達が「もう」以外の言葉を使っていたことさえ知らない牛が少しずつ増えてゆき、そしてついに、かつて「もう」以外の言葉を使っていたことがある最後の生き残りの牛が息絶える時がやってきた
その牛は他の牛同様、それまで「もう」以外の言葉を使えなかったのであるが、自らの最後、そして「もう」以外の言葉を使った牛の最後を目前にして、万感の想いが込み上げてきたことが、奇跡を生んだのだろうか、突然、言葉が蘇ってきたのである
そして、死を目前にして言葉を取り戻したその牛は、息を絞り出すようにして、次のような辞世の句を詠んだのであった
ながらへば またこのごろや しのばれむ 牛とみしよぞ いまはこひしき
チーン (効果音2)
この辞世の句の意味するところはこうである
人間がこの世を支配する時代が長く続くと、牛がこの世を支配していた頃が懐かしいと思うことがあるかもしれない
しかし案ずることはない、なぜなら今から、数百年後、この日本に、日本牛乳党なる団体をたちあげる男があらわれるからである、その団体をたちあげる男は牛ではないが、牛のいい所を備えているのである
もっとも、この男は、牛のいい所だけでなく、悪い所もかねそなえているため、公約が実現するまでに時間がかかり、ともすると、結果を急ぎたがる連中からは口先だけと言われかねない所があるが、「もう」以外の言葉を使った最後の牛として、私がこの男の将来性を保証するので、党員達は安心してついてゆくがよいぞ!
以上が、「もう」以外の言葉を使った最後の牛の辞世の句の直訳でありました
では最後に皆さん、人間の未来を案じながら死んでいった牛達の霊の鎮魂と、日本牛乳党の今後の発展を祈念して、心を一つにして声高らかにご唱和下さい
一、二、三、
モウ!
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